歴史と沿革

三島 好雄 東京医科歯科大学名誉教授

当時慶應義塾大学生理学教室を主宰しておられた故林髞教授が1959年 5 月に訪米された折に,ある科学薬品会社の副支配人から American College of Angiology 副会長の Dr. alpernを紹介され,日本の脈管学研究者と速やかに連絡を取りたいとの要請を受けて,帰国後当時広島大学で生理学を担当されておられた故西丸和義教授と相談されて日本脈管学会創立を企画され,13人の世話人に呼びかけられた.その結果,1960年 9 月30日に慶應義塾大学医学部東校舎講堂で設立総会が開催され,日本脈管学会が発足した.設立趣意書には以下のように記載されている.脈管系の研究は解剖学・生理学・薬理学・病理学・内科学・外科学・皮膚科学・整形外科学その他の分野に別れて別個に行われ,各研究者間の連絡はほとんどない現状である.またその研究成績はそれぞれの学会機関誌に発表され,どの研究者も脈管学全般の進歩を通観することが甚だ困難である.これでは個々の研究は他の研究部門の現状を知らないで独走し,独善に陥る危険がある.このような状態を憂える研究者は近来次第に数を増し,最近わが国において臨床医学,基礎医学両方面の脈管学研究者が互いに密接に接触して研究の進歩を計ろうとする機運が熟してきた. この時に当たり,米国脈管学会より日本の脈管学研究者と連絡を取りたい旨の要請があり,さらに将来は日本脈管学会が国際脈管学会(International College of Angiology:以下ICA)の傘下に入るように希望してきた. このような背景で日本脈管学会として当時 St. Louis に留学しておられた東大第一内科の関清先生に ICA と連絡をとって頂くようお願いした.先生が早速ボスの Hertzman 教授にお話したところ,ICA 以外にもInternational Union of Angiology(以下 IUA)という ICA よりも大きい会があるのでこちらの会に出席するようにとのご指示を頂いた.そこ関先生は西丸会長にその旨を報告され,正式に日本脈管学会代表として 1961年に Prague で開催された第 4 回 IUA 世界大会に出席され,以後わが国からも定期的に参加するようになった. 他方,ICA は古くからの仲間を中心とした学会であまりオープンではないということもあって,日本から積極的に参加される方は少なかった.その後IUA,ICA ともに新旧の世代の間に対立が深まり,執行部が一新し,日本脈管学会には両者から改めてアプローチがあり,今日に至っている. 古くから多くの国際学会には米国に本部を置くものと,ヨーロッパに本部を置くものの 2 つがあり,両者の間には確執があって,真の意味で国際学会とはいえない面もあるが,両者にはそれぞれ言い分があるので合併を望むことは至難といわざるをえない.しかし日本脈管学会としては両者の合併を希望する旨を明確にしておきたい. 近年,時代の流れを受けて脈管学の分野でも細分化が進み,微小循環・静脈・リンパ・血管外科・血管内治療などの学会が創設され,独白の方向性をもって運営されている.学間の進歩とともに各領域が分化していくのは当然のことではあるが,反面全体的な視野に立っての統合も必要であると考えている.日本脈管学会は設立時の趣意に則って基礎・臨床の両面のみならず広く医工学の領域なども含めて,今後も脈管系の総合学会として歩んで行きたいと思う.

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